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平成29年4月の法話  「美しい花をみ仏に」  

                      

   花供養御詠歌(供華)

                                この心天つ空にも花供ふ三世の仏に奉らばや 奉らばや

  曲名の「供華(くげ)」とは、仏さまやご先祖さまに花を供えて供養する行(ぎょう)の尊さをあらわしています。

皆様が仏壇やお墓に花を供えるとき、どちらに向けて供えられるでしょうか?通常私たち拝む側の方を向けて供えます。

実のところ仏さまはその奥におられて花の裏ばかりをご覧になっていることになります。

あらためて考えると不思議に思いますが、それで正しいのです。気持ちはもちろん仏さまにお供えするのですが、

その体(てい)で仏さまは私たちが美しい心になるよう拝む側に花を見せてくださっているのです。

春を迎え、桜をはじめ多くの花々が咲き誇る様子に私たちは喜びを感じ晴れ晴れとした気持ちになります。

花には人の心を動かす大きな力があるのです。

                                                                                        宗務所梅花講師  篠山市 小林寺住職 飯田天祥

平成29年5月の法話「正行御詠歌」(道環)

 

冬ゆきのいのち伝えん春ははな

            夏ほととぎす秋はもみじば

 

花舞い散りはてて目に鮮やかな新緑の好季節、

野にも山にも、そして人々の心にも新風がそそぎ新しい息吹が感じられます。

巷では、季節感が薄れてきたとよく言われます。

ことに野菜や果物などは、1年中同じものを手にすることができます。

しかし、旬のものこそ本当の甘さや苦さをもっているのです。

同様に、近頃の私達も、人生における旬という季節感の無い日々を送っているのではないでしょうか。

新緑若葉が私たちの身も心も荒い清めてくれる思いがするのは

長い厳しい冬枯れを乗り越えた木々に力強い生命力やみずみずしい息吹を感じるからです。

冷たく冷え切った騒音と喧騒の中で暮らす私たちも5月の新緑若葉のように快適に生きたいものです。

そのためにも、つらく苦しい冬枯れを乗り越えてこそ

力強くみずみずしい真の人生観が息吹いてくるのではないでしょうか。

 

                        宗務所 梅花講師 篠山市 法昌寺 谷垣 政道

平成29年6月の法話 「観世音菩薩御和讃」

6月と聞くと、なぜか結婚式を思い浮かべます。主役が何度も衣装を変えられるのが私にとって印象的だからです。

 このようにお姿を変えながら、いつでも、どこでも、誰にでも、手を差し伸べてくださるのが観音さまです。

観世音菩薩御和讃(かんぜおんぼさつごわさん) 

「お慈悲の眼あたたかく、まどかに智慧は満ちわたる 

       この世の母のおん姿、南無や大悲の観世音」

最後の一節、「南無や大悲の観世音」

「南無や」は「身も心もおまかせいたします。どうぞ力をお貸しください。」との思い。

そして大悲の「悲」は抜苦、つまり「苦しみを抜く」ことですから「大きな心で、苦しみを抜いて下さる。」ということです。

ですから

「身も心も投げ出してお願い申し上げます。どうぞこの苦しみをお救い下さい観音様お願いいたします。」というわけです。

観音様をはじめ、菩薩さまは、一人残らず苦しみから救われない限り、

自分の悟りはあり得ないとの誓願を持っておられます。

皆さま、苦難にあったら「南無や大悲の観世音」と手を合わせ、お唱えしてみてください。

きっとすぐそばに観音さまがおいで下さるでしょう。

 

                              宗務所 梅花講師 丹波市 宗福寺住職 西村 真行 

平成29年7月の法話  「法のありがたさ」  

                      

   開山忌御詠歌(真清水)

       「湧き出ずるその源の深きほど

               法の真清水ゆたかなるらむ」

​開山とはそのお寺を開かれた和尚様のことです。開寺ではなく開山というのは

ほとんどのお寺には○○山というように山号があります。いわゆる寺院の別名、称号を意味します。

開山忌というのは、御開山さまの命日のことです。

当山では今年、芳岩安宗大和尚さまの400回忌をむかえました。

6月29日に開山忌の法要を宗門において最も丁重に敬意を表す「出班焼香」という儀式で勤修しました。

何百年も前の御開山さまの法(御教え)が湧き水のように、脈々と絶え間なく続き現在がある。

この御開山さまの法を断絶することなく、後世へ受け継いで行かねばなりません。

皆様もご先祖あって今の自分があるのです。報恩感謝の気持ちを後世へ伝えましょう。

また、菩提寺に行って御開山さまにお参りしてみてはいかがでしょう。

                                                                                                           梅花流特派師範 養父市 宗恩寺住職 別所道眞

 平成29年8月の法話

 

     盂蘭盆会御和讃

               「瞼をとじれば在りし日の 面影浮かぶみほとけを

                       法悦び迎し盂蘭盆会 いのちの集い有難や」

1番の歌詞は

大切な家族・友人等を偲ぶ時、目を閉じればその笑顔が・怒り顔が・泣き顔が

映像のごとく瞼に焼き付いている様をうたっているものだと思います。

人は二度死ぬと言われています。1度目は魂の器である肉体が滅した時。お医者様が死亡の診断をした時です。

これは世の無常を思えば生物が必ず通らねばならない自然の真理です。

では、2度目というと何時か?それは私という存在を誰一人思い出さなくなった時です。

誰かが思い出してくれるとき、私という存在は誰かの記憶の中で生き続けているということになるのでしょう。

だからこそお盆に限らず法事や、日々の供養を大切にしなければならないのだと思います。

決してお盆だけが故人を思い出す時ではありませんが、日本人が過去より持ち続けている遺伝子が、

お盆にはお墓参りをし、仏壇を荘厳し先祖をお迎えし共に過ごすという感性を

今後とも大切に後代に伝えてまいりたいものです。

 

                            宗務所梅花講師  養父市 洞仙寺 住職 武内 良太

平成29年10月の法話

相続(そうぞく)や大難(だいなん)

                        

達磨大師御詠歌(廓然)

     伝えましうけつぎ来たり有難や

                        五葉に開く道のひとすじ

 私たちの宗門では達磨大師のお命日十月五日を達磨忌と定め、お慕い申し上げております。 

一般にも“七転び八起きのダルマさん”として親しまれていますが、

インドから中国に最初に禅の教えを伝えられた大切なお祖師様であります。

幾多の困難を乗り越えインドとは環境の違う中国に禅の教えを根付かせ、

のちに道元禅師、さらに瑩山禅師から私たちへとみ教えが伝えられています。

伝えられたみ教えは、今ここに華咲き実を結んでいるのです。

 禅に「相続や大難」という言葉があります。何事も相続し継続することは容易なことではありません。

しかしながら、み教えを相続した者は次世代に相続することが責任であり義務でもあります。

どのような立場のどなたであっても次世代に相続すべきものをお持ちのはずです。

容易でないことを相続してこそ大きな成果を得ることが出来るのです。

                              宗務所梅花講師  篠山市 小林寺   飯田天祥

平成29年11月の法話​

 

道心利行御和讃

 

11月1日、宮城県亘理町の當行寺での東日本大震災七回忌法要に随喜しました。

照明を暗くしての法要で、お経に続き追善供養御和讃、御詠歌をお唱えしました。

薄暗い本堂の中の明かりは蝋燭と経典を照らす小さなLEDスタンド、そして約120個の提灯でした。

本堂の到る所に吊された提灯には戒名、俗名没年月日が書かれていました。

すべて平成二十三年三月十一日、つまり、當行寺檀家の震災犠牲者方々の供養提灯でした。

法要の後の梅花講習で「道心利行御和讃」をお唱えしました。

(一) 衆生済度の誓願に 常に在す御仏の 慈悲の光に照らされて 命輝よう嬉しさよ

              あなたの真前に向き合わん 利行の道の同朋として

(二) 山河自然の厳しさと 恩恵に而今を生かされて 利他の功徳を積む人の 

              花の笑顔ぞ美しき あなたと共に伝え合う 正しき法の灯火を

  (三)    生死流転の現世にも 心を澄まし爽やかに 今日の勤めを励みなば

              菩提の月は宿るなり あなたを信じ支えあい 希望を抱き進み行く

この御和讃は平成二十四年、梅花流創立六十周年に当時のスローガンである

「向き合う 伝える 支え合う」をテーマとしてつくられました。

未曾有の災害によって亡くなられた多くの人々の無念さを思い、

常に私たちの前に向き合ってくださる御仏の誓願にならい、願いを込めてお唱えしたいものです。

                                梅花流特派師範 宗恩寺 住職 別所道眞  

平成29年12月の法話

お若いころのお釈迦さまは、大変深いお悩みをお持ちでした。

 なぜ、人間は生きている者同士が争い、老いていき、病気になり、死ぬのか。(生老病死)

このような苦しみから救われることのできる道や教えはないのだろうかと。

こんな悩みを胸に刻んで苦しい修行にお入りになられました。

そして、6年もの間、苦しい修行を続けられたお釈迦さまが、

身体を苦しめるだけの修行では、本当の悟りは開くことは出来ない、とお気づきになられます。

スジャータという名の娘から、乳粥の供養をうけ、体力を回復したのち

大きな菩提樹のもとに坐禅を組まれて8日目の朝

明けの明星の輝きと共にお悟りを開かれたのです。

それが12月8日のことでありました。この日を「成道会」といいます。

「大聖釈迦如来成道会御詠歌」

 明けの星 仰ぐ心は 人の世の 光となりて 天地に満つ

お釈迦様のお悟りは数多の祖師により私たちに伝えられてきました。

皆さまの中にある、それぞれの思いや仏法がいずれ人の世のひかりとなって

天も地も満たされていくことでしょう。

                            宗務所梅花講師 丹波市 宗福寺住職 西村 真行

平成30年1月の法話

お正月というとおせち料理、金運に恵まれますようにと「くりきんとん」もはいっています。

栗というと良寛さまの歌(御詠歌の三番)が思い出されます。

 

「月読みのひかりを待ちて帰りませ 山路は栗のいがの多きに」

お客さんがいる。

夕暮れにかかると良寛さまは引き留めて帰さない。月の出を待って帰れという。

暗い山道は落ち葉も散っていて、栗のいがも多い。滑っていがが刺さってもいけない

まあまあ月の光に照らされて、明るい道をかえりなさい。

この歌は、やさしい良寛さまの思いやりの心、いたわりの心がヒシと感ぜられます。

そして、その心は日常の生活から自ずとにじみでた、いたわりとおもいやりです

心悲しい事件の多いこの頃、お互いに思いやりの心を広くし

いたわり合いを深めるための努力を心がけたいものです。

                       宗務所梅花講師 篠山市 法昌寺 谷垣 政道

平成30年2月の法話

大聖釈迦如来涅槃御詠歌「不滅」

「ひとたびは涅槃の雲にいりぬとも 月はまどかに世を照らすなり

 

                          世を照らすなり」

 

お釈迦さまは100歳の寿命を20年縮めて80歳で涅槃に入られました

残りの20年の寿命を末法の私たちにお授け下さり、

その福徳は尽きることが無いと言われております

世を照らすなりという歌詞を2度連ねることにより

その御釈迦さまのお慈悲をより強く伝え、感じることができるのだと思います

また大聖釈迦如来涅槃御和讃の3番に

「教えのままにしたがいて 戒法まもりゆく道の 

         そこに仏の命あり 怠るなかれもろびとよ」

とあります。

ただ、お釈迦さまの教えをまっすぐに信じ疑わず、その教えをしっかりと実践しなさいよ

という意味になろうかと思います。

私たちは様々な煩悩や欲の中にいます。恥ずかしながら私もその中の一人です

生きている時間はあっという間に過ぎ去っていきます。

私自身も日々反省し、考え、学んでまいりたいと思います。

 

                宗務所梅花講師   養父市 洞仙寺 住職 武内 良太  

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